「教育」・「学育」・「(口に卒)啄」
「教育」という言葉について
教育とは読んで字のごとく、人を「教え育てること」という認識が一般的でしょう。知識、経験、技術、技能、見識等が教育を受ける人よりも優った人が、教える側に立ちます。人に教えるということは、すごいパワーを必要とします。
学ぶことと教えることは、まったく違うことで、教育を実施するには、事前の準備が欠かせません。対象者に初心者や基礎知識を持っていない人がいれば、準備はさらにかかります。初めての人にわかりやすく説明するには、教える人が基本的なことを十二分に理解しておかなければなりません。
中級レベル向けの場合、対象者の中でレベル格差が大きくなっている可能性があります。初級編や基礎編を「とりあえず受講した層」と「しっかり学んだ層」が混在してくるからです。レベル差のある人たちに対し、一律の教え方は通用しにくいものです。彼らの理解度を確認しながら、状況に応じて教え方を変えていく必要があるのです。
このように、教えることは学ぶことよりも何倍も大変なことなのです。しかし、その工数に手間ひまをかけることで、自分自身も「教え育って」いきます。教えることは、「最強の自分教育」なのです。このことを、あなたを筆頭に全従業員のみなさん理解してもらいたいのです。
「学育」とは?
さて、一方の学育ですが、これは私が作った造語で ”がくいく ”と読みます。こちらは、受講する側の視点で考えたもので、自ら積極的に「学び育つ」姿勢を期待しています。いくら教える方が一所懸命になっても、学ぶ人に成長したいという気持ちが希薄だと、期待する効果は望めません。自分の能力を高めたいと、心から思えるように従業員の方を誘導し、人材育成に役立てていきましょう。
(口に卒)啄(そったく)
ところで、あなたは(口に卒)啄(そったく)という言葉を聞かれたことはあるでしょうか。鶏の雛がかえるとき、卵の中から殻をつつくことを「(口に卒)(そつ)」といい、それに呼応して母鶏が外からつつくことを「啄(たく)」といいます。教える人と学ぶ人が、同じ目的を持って臨めば、成長の度合いは格段に早くなるのです。学ぶ側のモチベーションをいかに高めるかが、人材育成の成否のポイントになります。
もし、あなたが学ぶ側なら、どうして欲しいかを考えてみましょう
